谷中霊園に佐藤自楽(1808~1891)の墓がある。
佐藤自楽は、当道廃止前は長堀(永堀)検校、佐藤検校と名乗った人物で、都名は寿賀之一という。
『座下控』に永堀検校と記載される佐藤は弘化3年(1846)閏5月17日の権成。
当道廃止時の十老は松崎孝謙一(弘化2年正月元日権成)であったと思われ、佐藤も十老入り間近のランクの序列に位置していた。
明治4年(1871)の当道廃止時には64歳で、盲界の長老格であった。
谷中霊園の墓は、70歳を機に建立した「寿陵」である。
墓石も大きくたいそう立派で、墓誌は成瀬大域の書による。
経験と実績を積み、おそらくは名人とも称されるような評判を博していた佐藤自楽は、明治維新後の当道廃止の混乱期において鍼灸家としての成功者であっただろう。
しかし、その裏側には、さらに若い世代に属する多数の鍼按盲人の困窮があったことも忘れてはならない。、

谷中霊園の佐藤自楽の墓 正面

谷中霊園の佐藤自楽の墓 側面
----------------
佐藤自楽墓誌
自楽姓佐藤氏文化五年生于越後新発田及廿ニ歳患眼喪明廿四歳来
江戸従長岡検校受杉山流鍼術既命為検校又為本所学校学頭終進総
録初有故以長堀為氏名寿賀之一明治四年 官命廃瞽者官職目更名
自楽復本姓父曰作兵衛母増田氏娶大八木氏生二男曰正興曰忠義自
楽今年七十建寿冢於東京谷中墓地中目誌概略其陰以示子孫
明治十年九月 大域成瀬温書
----------------
タグ : 当道検校長堀寿賀之一佐藤寿須賀之一佐藤自楽鍼灸