クナーラ王子の「琴」

 『今昔物語集』の巻四には、次のような話がある。


 今は昔、天竺のアショーカ(阿育)王の時代のことである。
王には、容貌も心根もたいへんすぐれたクナーラ(拘那羅)という王子があった。
しかし、王子は継母である后に言い寄られ、それを断ったことによって逆に后の恨みを買う。
父王はクナーラ王子に災いが降りかかるのを避けるため、王子をタクシャシラー(徳叉尸羅)国へ逃がす。

 継母は、王子の両眼をえぐり取って国外に追放すべしという偽りの宣旨を下す。
それを国王の宣旨と信じたクナーラは、偽りの宣旨に従って自らの両眼を捨てる。
盲目となったクナーラは、妻ひとりを伴い、放浪するうちに故国の大王の宮殿へ到着する。
王宮の人は、変わり果てた姿に王子とは気づかず、クナーラを象小屋に泊めた。

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 夜に臨むに琴を曳く。大王高楼にましまして髣(ほのか)に此の琴の音を聞き給ふに、我が子の拘那羅太子の引き給ひし琴に似たり。然れば使を遣はして、「此の琴引くは、いどこの誰人の引くぞ」と問ひ給ふに、使象の厩に訪ね至りてみれば、一人の盲人有りて琴を引く。妻を具せり。使、「誰人のかくは有るぞ」と問へば、盲人答へて云はく、「我れは此れ、阿育大王の子拘那羅太子なり。徳叉尸羅国に有りし間、父の大王の宣旨に依りて、二の眼を抉り捨て国の境を追ひ出されたれば、かくの如き迷ひあるくなり」と云ふ。
(『今昔物語集』天竺・震旦部 159〜160ページ)

※引用にあたって、漢字及び送り仮名等の表記を一部改めた。
 王子の名クナーラの「ク」は、原文中では「牛偏に句」「手偏に句」の二通りの表記が現れる。引用箇所は「牛偏」であるが、表示できないので「手偏」で代用した。
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 王子の告白を聞いた使者は驚いて王にそれを報告する。
王は嘆き悲しみ、王子の眼を元どおりにしてくれるよう羅漢に頼む。
羅漢は法を説き、それを聞いた人々は涙した。
その涙で王子の眼を洗うと、眼は元どおりになったのであった。


 注目すべきは、クナーラ王子 ―― 先天的な盲人ではないが ―― が器楽の名手であったという伝承が見られることである。
視覚障害者と音楽との分かちがたい関係が、ここにもある。

 父子再会のきっかけをつくったのは、「琴」の音色であった。
ここに現れる「琴」とは、どんな楽器であろうか。
筝曲で用いられる日本の「筝」とは別のものであるのはもちろんだが……。


《参考文献》
池上洵一(編);『今昔物語集』天竺・震旦部,岩波文庫(2001).

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『今昔物語集』の蝉丸

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さわっておぼえる漢字の本

 桜雲会の「てんじ手作り絵本」。
『かいてみよう かんじ1』が2006年に、『かいてみよう かんじ2』が今年、出版された。

かいてみよう かんじ1 表紙

かいてみよう かんじ2 表紙

 「さわっておぼえる漢字の書き順の本」である。
小学校1年生の漢字80字が40字ずつ、1と2に収録されている。

 漢字は浮き出た点線で示されている。
それが、筆順にしたがって一画ごとに書かれている。
そして、ひとつひとつの漢字の一画ごとに、筆を運ぶ方向が矢印で示されている。

「花」のページ。

浮き出た点線で示された「花」の字。

浮き出た点線で描かれた花の絵。

 常用漢字だけでも2000字近い漢字の中で、最も簡単な部類の80字である。
視覚障害者が本気で漢字の形や筆順を覚えようと思ったら、それは気が遠くなるような話だろう。
しかし、これだけの実例をもとにすれば、一画ごとの筆の運びは「縦画は上から下へ、横画は左から右へ」、ひとつの字の中では「上の画から下の画へ、左の画から右の画へ」という大原則は読み取れる。
あとは部首、あるいは比較的簡単な形の漢字どうしの組み合わせということになる。

 わずか80字ではあるが、それらの漢字をどう配列するか。
編集方針の根本に関わる問題であるが、ここでは字の形の関連性(「夕→名」、「子→字」、「校→村」のように)にも配慮しつつ、主として意味によって漢字を分類して並べている。

 漢字には読み方がある。
読み方、すなわち意味である。
同書の配列の「見出し語」として用いられた読み方を示してみる。

 いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう、ひゃく、ひ、つき、ひ、みず、き、かね、つち、うえ、した、ひだり、みぎ、おおきい、なか、ちいさい、め、くち、みみ、て、あし、ひと、やすむ、しろ、やま、かわ、た、ちから、おとこ、おんな、とし。
(『かいてみよう かんじ1』)

 はいる、でる、はやい、くるま、たつ、おと、ゆう(夕)、な(名)、いし、かい、みる、おう、たま、いと、はな、くさ、たけ、ほん、はやし、もり、コウ(校)、むら、まち、こ(子)、ジ(字)、まなぶ、ふみ、さき、うまれる、ただしい、セン(千)、まるい、あか、あお、そら、あめ、テン(天)、キ(気)、いぬ、むし。
(『かいてみよう かんじ2』)


《参考文献》
桜雲会(編);『てんじ手作り絵本 かいてみよう かんじ1』,社会福祉法人桜雲会(2006).
 ――;『てんじ手作り絵本 かいてみよう かんじ2』,社会福祉法人桜雲会(2008).

《参照・リンク》
桜雲会ホームページ

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塙保己一と漢字

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本間昭雄さん/塙保己一賞

 本間昭雄さんは20歳の時、医療事故で失明するが、そのことによって後に社会福祉の道に進む。
自身と同じ境遇の失明者の福祉ために、聖明福祉協会を設立。
そして、盲老人ホームの建設や盲学生のための奨学金制度の創設などの事業を成し遂げる。
そこには常に、妻・麻子さんの協力があった。

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彼は病院を退院すると、まず点字を習った。二三歳の手習いであった。半年で点字を習得すると、次は社会事業大学の門をたたいた。盲人の前例がないということで、大学側は難色を示したが、彼の熱意に押されて、一般の学生とともに学ぶことを許された。夕方、当時都庁に勤めていた後の夫人と、新宿で待ち合わせ学校へ行き、帰りは夜食のパンをかじりながらの通学であった。二年間、社会福祉の専門的な学習を終え、一九五三(昭和二八)年三月、卒業証書を手にすることができた。その年の五月、まさに二人三脚で通い詰めたよきパートナーと、結婚することができた。
(『盲人福祉事業の歴史』161ページ)
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 昨年度、本間さんが、創設されたばかりの塙保己一賞で第1回の大賞を受賞したことは記憶に新しい。
 本間さんは塙保己一大賞の受賞に際し、“盲人の幸せを願い、人生終末のホーム作りに努力してきた事”、“盲目の若者に「夢と希望の灯」を灯すべく盲大学生奨学金制度を創設し、今日まで多くの学生を援助し続けてきた事”が認められたと述べている。

 第2回の塙保己一賞の候補者募集がきょう6月2日から始まった。
募集期間は9月1日まで。


《参考文献》
谷合侑;『盲人福祉事業の歴史』,明石書店(1998).

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本間麻子さん逝去

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本間麻子さん逝去

 過日のJBS日本福祉放送で、本間麻子さんの逝去が報じられていた。
ご冥福を祈る。

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●社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会 ・ 
日盲社協の理事長である本間昭雄さんの令夫人で、
社会福祉法人 聖明(せいめい)福祉協会の名誉園長である本間麻子さんが、
5月27日火曜日の未明にお亡くなりになりました。

1929年生まれの79歳でした。

本間麻子さんは、本間昭雄理事長と共に、1955年に視覚障害に関する相談事業を開始。
その後、社会福祉法人 聖明(せいめい)福祉協会を設立し、
長年に渡って盲老人ホームの経営に従事されました。
なお、その間、1993年に第27回吉川英治(よしかわ・えいじ)文化賞、
2001年に鳥居伊都(とりい・いと)賞、
また、昨年には、平成19年秋の叙勲で、
瑞宝双光章(ずいほうそうこうしょう)など、数々の賞を受賞されています。

なお、葬儀は密葬で執り行われますが、後日、別途お別れ会が行われる予定です。
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 吉川英治文化賞は、聖明福祉協会理事長の本間昭雄氏とともに夫妻での受賞である。
同賞は、「日本文化の向上につくし、たたえられるべき業績をあげながらも、報われることの少ない人、あるいは団体」を対象としているが、過去の受賞者の中には、高橋竹山、本間一夫、松井新二郎、福島智、桜井政太郎の各氏ら、視覚障害者の文化や福祉に多大な貢献をした障害当事者の名も数多く見られる。


《参照・リンク》
JBS日本福祉放送 2008年5月30日

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本間昭雄さん/塙保己一賞

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愛の鐘

 埼玉県立盲学校では、毎年5月2日を「埼盲交通安全の日」と定めている。

 1974年のこの日、高等部普通科の生徒だった高橋節子さんが鉄道の駅ホームから転落して死亡するという痛ましい事故が起こった。
この事故の教訓に学び、視覚障害児者の交通安全確保への共通理解を図ることを目的に、毎年「交通安全の日の取り組み」という名の全校集会を行う。

埼玉県障害者交流センターの愛の鐘。


 さいたま市浦和区の埼玉県障害者交流センター内に「愛の鐘」がある。
この「愛の鐘」には「設置の趣旨」が次のように記されている。

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 昭和49年5月2日、埼玉県立盲学校高等部1年高橋節子さん(全盲・16歳)が大宮駅ホームの混雑状況の中でホームから転落し、入ってきた電車にひかれ、即死するという事故が起きました。
 当時、同駅には盲人用安全点字ブロックもありませんでしたが、この事故がきっかけで同駅の各ホームに盲人誘導用の点字ブロックが取り付けられました。
 こうした経験を踏まえて、埼玉県立盲学校や大宮視力障害者福祉協会並びにボランティアの人たちの間で、この少女の霊を慰めるとともに、このような痛ましい事故を繰り返すことのないよう「愛のひと声」運動など視覚障害者福祉の啓発活動を促進するために、「愛の鐘」を作成しようとの運動が始まりました。
 そして、募金活動及び設置運動が長年にわたって行われた結果、ここに念願がかない作成されるに至りました。
 「愛の鐘」は障害者社会福祉事業団障害者交流センターに寄贈され、この地に設置されることになったものです。
  平成7年5月2日
                 「愛の鐘」をつける会
                埼玉県社会福祉事業団
                障害者交流センター        
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愛の鐘の上部。二つの鐘は異なった音色を奏でる。

        愛の鐘の説明板。左に墨字、右に点字。


 高橋節子さんの事故の前年の1973年2月、東京の高田馬場駅で上野孝司さん(当時42歳)がホームから転落して死亡した。
上野さんの遺族が国鉄の安全対策責任、視覚障害者に安全に公共交通機関を利用させる義務を問うた「上野裁判」は、被告国鉄の責任を認める1979年の一審判決を経て、1985年に和解。
その後、駅ホームの点字ブロックの敷設が進むこととなる。
事故からは、すでに十年余が経過していた。
上野さんの教訓を迅速に生かすことができていたなら、その後の事故の多くは起こらずにすんだかもしれない。

 近年新しく開業した路線の駅などには、ホームドアやホーム柵が設置されているところもある。
公共交通機関の安全対策も少しずつ進んでいる。
しかし、こんにちに至るまで、高橋さんを含めて幾多の尊い犠牲があったことを忘れてはならない。


タグ : 埼玉県立盲学校 交通安全 埼玉県障害者交流センター

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