八ツ橋とクレープ

 「八ツ橋」を検索しているうち、【裏オンライン和英辞典】というサイトに遭遇した。

 外国人に英語で日本のことを紹介するとき、日本独特の「表現」や日本にしかない「もの」の翻訳に困ったことありませんか? 本サイトでは、特に翻訳が面倒と思われる日本語を厳選し、その英語訳を紹介しています。 ―― という趣旨のサイトである。

 確かに、菓子の「八ツ橋」は日本独特のもので、翻訳も難しそうだ。

 以下、【裏オンライン和英辞典】の「八つ橋」のページから引用。

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【実況中継】
パーソナリティ: はい、「八つ橋」の英語訳です。
さっそく画面で確認してみましょう。

【八つ橋】

cinnamon-flavored crepe
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 シナモンの香りのクレープ ――。
もしかしたら、これは「八ツ橋」ではなく「生八ツ橋」の英訳なのではあるまいか。

 本来の八ツ橋は、原宿名物のクレープとは違い、グニャグニャと柔らかなものではない。
最近ではグニャグニャの生八ツ橋のほうが人気があるようだが、本来は湾曲した板状の固い焼き菓子である。

聖護院八ツ橋。

        原宿竹下通り。クレープの店に群がる人々。


 京都の銘菓「八ツ橋」が、八橋検校にちなんで、筝の形をかたどってつくられたものであるという事実は、もっと知られてもよいように思う。


《参照・リンク》
【裏オンライン和英辞典】「八つ橋」

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聖護院界隈2

タグ : 八橋検校 八ツ橋 生八ツ橋 クレープ

聖護院界隈 2

 東大路通をはさんで熊野神社と向かい合う位置には、もう一つの代表的な老舗である聖護院八ツ橋の店があるが、これは支店。
本店は、これから歩く春日北通沿いにある。
春日北通の角を曲がってほどなく、右側に聖護院八ツ橋の総本店が見える。

聖護院八ツ橋総本店。

 聖護院門跡を左手に見て、須賀神社の前を通る。
その先の三叉路に古い道標があった。
南側に「右くろたに」、東側に「左ちおんゐん」の字が読み取れる。
北側の面には「右北野天満宮」とある。
金戒光明寺はもうすぐだ。

金戒光明寺の近くの道標。


 そのまま寺域に入ると、駐車場。
駐車場の前に山門。
ここから階段を上る。

 駐車場前から山門へ向かわずに、迂回して右側の坂を上る道もある。
こちらの道を選ぶと、くろたに幼稚園の先に、塔頭の一つ、常光院がある。
通称「やつはしでら」として知られている。
「八はしでら」の文字が刻まれた門前の標柱は琴柱をかたどっている。

常光院。

常光院の標柱。


 どちらを通っても、金戒光明寺大方丈の前に出る。


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聖護院界隈1
八ツ橋とクレープ

タグ : 八橋検校 常光院 八ツ橋

聖護院界隈 1

 先の黒谷訪問の際には東天王町バス停からの道を歩いたと書いた。
距離だけで言えば確かに東天王町は最寄りのバス停には違いない。
実を言うとこれは、脇道からいきなり境内に入ってしまうようなルートである。
西側からの道が、本来の正面入口であるらしい。

 同じく京都駅からバスで行くならば、市内循環の206系統で熊野神社前で下車、丸太町のひとつ北の春日北通という道に入って聖護院門跡の前を行くことになるだろう。
山門の下までは迷うことのない一本道である。

 東山丸太町の交差点に位置する熊野神社。
ここには「八橋発祥之地」の石碑と西尾為治の銅像がある。

熊野神社。

      八橋発祥の地の石碑。

            西尾為治の銅像。


 熊野神社の並び、東大路通に面して大きな提灯が目印の西尾本店。
京都銘菓八ツ橋の老舗の一つである。
その12代目の西尾為治(1879〜1962)は、八ツ橋の発展のために心血を注ぎ、八ツ橋中興の祖と称された。

西尾本店。


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八橋検校の墓と碑

タグ : 八橋検校 熊野神社 八ツ橋 西尾為治

八橋検校の墓と碑

 近世の筝曲の確立者として著名な八橋検校(1614〜1685)は、奥州の平(福島県いわき市)の生まれといわれる。
はじめ摂津で三味線の名手として名を高め、その後、江戸に出て筑紫筝を学んだ。
寛永13年(1636)に勾当、同16年(1639)には検校に任ぜられている。
後に筝曲の改革に着手して、いわゆる八橋流を確立し、寛文3年(1663)ごろからは京都に住んで多くの門弟を育て、72歳で没した。
墓は京都黒谷の金戒光明寺にある。

金戒光明寺御影堂。


 数年前の夏、金戒光明寺を訪ねた。

 京都駅から市バスの5系統に乗って、東天王町で下車。
そこから西へ歩くと岡崎神社。
その先の本願寺岡崎別院との間の参道を進む。
しばらく行くと上り坂となり、ほどなく大伽藍が見えてくる。

 黒谷の寺域は広い。
当然、墓地もまた広い。
墓地は、大方丈や御影堂を取り巻くように東西に広がる。
古い墓は、東側に多いようだ。
御影堂から東へやや下ると、池がある。
池にかかる橋を渡ると、その先に長い石段が続く。

 目指す八橋検校の墓は、石段を上りきった文殊塔の裏側にある。
どちらからも行けるが、右から回ったほうがやや近い。

八橋検校の墓。

        八橋検校ノ碑。


墓の横には「八橋検校ノ碑」がある。

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八橋検校ノ碑

八橋検校ハ慶長十九年陸奥
岩城ニ生ル年少江戸ニ出デ
三絃ノ技ニ名アリ偶マ筑紫
筝ノ数曲ヲ学ビ真諦ニ通ゼ
ントスル念止ムベカラズ奮
励艱苦ヲ冒シテ九州ニ下リ
終ニソノ奥義ヲ極ム業成ツ
テ京都ニ帰リ住ムヤ古典ノ
神韻ニ尚創意ノ潤飾ヲ加ヘ
テ組唄十三曲ヲ作ル律格調
和ヲ愛スル生来ノ好尚ト情
ニ厚ク感性ニ敏カリシ天稟
ノ鋭トヲソコニ併セテ古典
創作ノ大業ヲ新時代ノ意義
ニ於テ完成シ近世筝曲ノ開
祖トシテ世ノ尊崇ヲ受ク俊
髦ソノ門ニ集リ以後同流全
国ニ普及シテ今日ノ盛運ヲ
見タリ昭和九年第二百五十
年忌ニ際シ全国思慕ノ同志
塋域黒谷金戒光明寺内ニ碑
ヲ建テ後進邦楽家ノ上ニ及
ブ啓示ノ愈ヨ強力無窮ナラ
ンコトヲ期シテ厚ク検校ノ
霊ヲ祀リソノ偉功ヲ称揚ス

 文学博士 太宰施門 撰文
 大僧正 郁芳随圓 題字

 大日本筝曲會聯盟
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