「八ツ橋」を検索しているうち、【裏オンライン和英辞典】というサイトに遭遇した。
外国人に英語で日本のことを紹介するとき、日本独特の「表現」や日本にしかない「もの」の翻訳に困ったことありませんか? 本サイトでは、特に翻訳が面倒と思われる日本語を厳選し、その英語訳を紹介しています。 ―― という趣旨のサイトである。
確かに、菓子の「八ツ橋」は日本独特のもので、翻訳も難しそうだ。
以下、【裏オンライン和英辞典】の「八つ橋」のページから引用。
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【実況中継】
パーソナリティ: はい、「八つ橋」の英語訳です。
さっそく画面で確認してみましょう。
【八つ橋】
cinnamon-flavored crepe
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シナモンの香りのクレープ ――。
もしかしたら、これは「八ツ橋」ではなく「生八ツ橋」の英訳なのではあるまいか。
本来の八ツ橋は、原宿名物のクレープとは違い、グニャグニャと柔らかなものではない。
最近ではグニャグニャの生八ツ橋のほうが人気があるようだが、本来は湾曲した板状の固い焼き菓子である。


京都の銘菓「八ツ橋」が、八橋検校にちなんで、筝の形をかたどってつくられたものであるという事実は、もっと知られてもよいように思う。《参照・リンク》
【裏オンライン和英辞典】「八つ橋」《関連記事》
聖護院界隈2
タグ : 八橋検校 八ツ橋 生八ツ橋 クレープ
近世の筝曲の確立者として著名な八橋検校(1614〜1685)は、奥州の平(福島県いわき市)の生まれといわれる。
はじめ摂津で三味線の名手として名を高め、その後、江戸に出て筑紫筝を学んだ。
寛永13年(1636)に勾当、同16年(1639)には検校に任ぜられている。
後に筝曲の改革に着手して、いわゆる八橋流を確立し、寛文3年(1663)ごろからは京都に住んで多くの門弟を育て、72歳で没した。
墓は京都黒谷の金戒光明寺にある。

数年前の夏、金戒光明寺を訪ねた。
京都駅から市バスの5系統に乗って、東天王町で下車。
そこから西へ歩くと岡崎神社。
その先の本願寺岡崎別院との間の参道を進む。
しばらく行くと上り坂となり、ほどなく大伽藍が見えてくる。
黒谷の寺域は広い。
当然、墓地もまた広い。
墓地は、大方丈や御影堂を取り巻くように東西に広がる。
古い墓は、東側に多いようだ。
御影堂から東へやや下ると、池がある。
池にかかる橋を渡ると、その先に長い石段が続く。
目指す八橋検校の墓は、石段を上りきった文殊塔の裏側にある。
どちらからも行けるが、右から回ったほうがやや近い。


墓の横には「八橋検校ノ碑」がある。
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八橋検校ノ碑
八橋検校ハ慶長十九年陸奥
岩城ニ生ル年少江戸ニ出デ
三絃ノ技ニ名アリ偶マ筑紫
筝ノ数曲ヲ学ビ真諦ニ通ゼ
ントスル念止ムベカラズ奮
励艱苦ヲ冒シテ九州ニ下リ
終ニソノ奥義ヲ極ム業成ツ
テ京都ニ帰リ住ムヤ古典ノ
神韻ニ尚創意ノ潤飾ヲ加ヘ
テ組唄十三曲ヲ作ル律格調
和ヲ愛スル生来ノ好尚ト情
ニ厚ク感性ニ敏カリシ天稟
ノ鋭トヲソコニ併セテ古典
創作ノ大業ヲ新時代ノ意義
ニ於テ完成シ近世筝曲ノ開
祖トシテ世ノ尊崇ヲ受ク俊
髦ソノ門ニ集リ以後同流全
国ニ普及シテ今日ノ盛運ヲ
見タリ昭和九年第二百五十
年忌ニ際シ全国思慕ノ同志
塋域黒谷金戒光明寺内ニ碑
ヲ建テ後進邦楽家ノ上ニ及
ブ啓示ノ愈ヨ強力無窮ナラ
ンコトヲ期シテ厚ク検校ノ
霊ヲ祀リソノ偉功ヲ称揚ス
文学博士 太宰施門 撰文
大僧正 郁芳随圓 題字
大日本筝曲會聯盟
----------------《関連記事》
聖護院界隈1
タグ : 八橋検校 筝曲 金戒光明寺 検校
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