江島杉山神社本殿の手前右側に杉山検校頌徳碑がある。
杉山和一検校の遺徳が全文点字で記された他に類例のない碑文である。

石碑の上部には「杉山検校頌徳碑」の文字。
その下には杉山検校の肖像のレリーフ。
さらにその下に遺徳を点字で記した金属板がはめ込まれている。
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贈 正五位 杉山 検校 頌徳碑
天つ 日 昇りまして もの 皆 明し。 杉山 検校 現れまして 世の /
やもうどと 盲いとは 皆 済われたり。 杉山 検校 和一は 慶長 /
十五年 伊勢の国の 津に 生れましき。 いとけなくして 盲いと なられければ 鍼の /
道を 究めて 世を 済わばやと 志し 江戸に 出でて 山瀬 検校に /
学びけれども あかぬ 節々 多かりければ 終に 江ノ島の 宮居に /
詣でて おしものをさえ 断ちて 祈りを 籠められけり。 願 果つる 夜の 夢に /
管と 鍼とを 得て 驚き 欣び ここに 初めて 管鍼の 業は /
世に 現れたり。 後 京都に 行きて 入江 豊明に 学びあるは 自ら /
究め 身を 砕き 時を 重ねて 終に その 上に 栄えし 鍼の 博士の /
道を あからめ 元禄 二年 五月 徳川の 五代 将軍に /
召されて 奥医師と なられけり。 こは まさしく 鍼科が 内科 外科と 並びて /
くすしの 道の 一科と なれりしなり。 五百歳余り 廃れたる 道の /
興したるにて いみじき 御功にこそ 東山 天皇の 御世 元禄 /
五年 四月に 盲官の 式目を 改めさせられ 総検校を 江戸に /
置かせらるる ことと なりて この 検校ぞ 先ず 総検校に 挙げられける /
扶持 八百石 かづけられ 江戸 本所 一ツ目の 橋の 傍らに /
広らかなる 大宅をさえ たばせられぬ。 ここに 鍼の 道の 学び舎を 建てて /
名を 北は 陸奥より 南は 筑紫の国に 至るまで この 道の 学び舎を /
置き ひろく 学ばされしかば くぬちの 盲いら ここに 学びて その /
業を 得けり。 星 移り もの 変われども いま 鍼の 道に かかずらう 者 /
五百 たれかは この 検校の 御影に 依らざるべき。 世に /
育まるべき 盲いに して かえりて 世を 済い 世を 過ごす たずきを /
得つるは 異国々に 例なき ことに して こは 皆 この 検校の /
御功なり。 元禄 七年 検校 八十路余り 五つと いう 年の /
五月 十八日 病にて 身罷られぬ。 著しし 書に 医学 節用集、 /
撰鍼 三要集、 療治乃 大概集 ありて 長く この 道の /
鑑なり。 天皇 この 検校の 御功を 記し給い こたび /
東宮の 御慶事を 折りと して 正五位を 贈らせらるる 貴きろかも /
畏きろかも 畝傍の 宮柱 太しく 仕え奉りしより 三千歳に 近く /
すがれたる 人々 いやつぎつぎに 現れしかど 盲いにして かかる /
御功 立てたる 人は 類 あらじかし。 ここに この 御影に よる 遠近の /
人々 諮りて 大正 十三年 五月 十八日 二百歳余り /
五十歳の 祭りに 仕りて その 形見にとて この 碑を 検校が /
おわしし 所と 偲びつつ ここに 建つる こととは しつ その 人々が 筆 /
執りてより 言わるる ままに ふじのや あろじ なおまさ 記す /
花は 笑み 波は さざめく ぬばたまの
闇を 払ひて 日の 出づる とき
昭和 五年 五月 検校の 二百八十歳の 祭りも とどこおる /
こと なく 済ませける。 この 形見にと 年古りて こぼちける この 碑も /
読み難く なりしかば 新たに その 板 作りなし ここに しふくなせり /
財団 法人 杉山 検校 遺徳 顕彰会
(板 製作者 せと せんぞー)
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全文点字のこの頌徳碑を漢字かな混じり文で表記してみた。
この文を起草した「ふじのや あろじ なおまさ」と板の製作者「せと せんぞー」、この両氏がいかなる人物であるか、この人名を漢字ではどう書くのか、浅学にして知らない。
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江島杉山神社
タグ : 杉山和一 江島杉山神社 検校 点字
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